白木 夏子

CATALYSTHASUNA代表

ジュエリーブランドHASUNA代表。1981年生まれ。英ロンドン大学卒業後、国連機関、金融業界を経て2009年4月にHASUNA Co.,Ltd.を設立。人、社会、自然環境に配慮したエシカルなジュエリーブランドを日本で初めて手掛け注目を浴びる。 2011年「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤーキャリアクリエイト部門」受賞、世界 経済フォーラム「Global Shapers」、AERA「日本を立て直す100人」に選ばれ る。2012年APEC(ロシア)日本代表団としてWomen and Economy会議に参加、2013年世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に参加と多方面で活躍中。著書に『世界と、いっしょに輝く』(ナナロク社)、『自分のために生きる勇気』(ダイヤモンド社)がある。

HASUNA代表:http://www.hasuna.co.jp/

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今回はカタリストとして、白木夏子さんの物語をご紹介させていただきます。ジュエリーブランドHASUNAの代表で、2011年には世界経済フォーラム(ダボス会議)が選ぶ日本の若手リーダー30人にも選ばれた白木さんの出会いと変化の物語をお聞かせいただきます。


 ―社会起業家として著名な白木さんですが、本日は特にHASUNA設立までにどのような経験をされてきたのかをお伺いしたいと思います。まずは、どんな幼少期を過ごされてきたのでしょうか?

 

色んな遊びをしたことを覚えています。母がファッションデザイナーだったこともあり、家の中で私の洋服も作ってくれていたんです。それを真似して、子ども用のミシンで小さなぬいぐるみや人形の洋服を作ったりしていました。初めて入った部活動も、手芸クラブでした。

 

―小さなころからモノ作りが好きだったんですね。ちなみに、どちらかというと内向的な性格だったのでしょうか?

 

そうですね。1人っ子なんですが、自分ひとりで過ごす時間がとても好きでした。お人形で遊んだり、絵をかいたり、本を読んだり。とにかく色んな遊びをしましたね。

 

―どんな本がお好きだったんでしょうか?

 

これは祖父の影響が大きいのですが、趣味で世界を旅していた人だったんです。祖父が買い集めた世界の百科事典が家には並んでいて、よく読んでくれていました。本当に可愛がってもらって、話に聞き入っていましたね。その影響もあって、図鑑がとても好きでした。深海の生物や化石、宇宙についてまで。岐阜県に化石が取れる場所があって、アンモナイトの発掘体験にも行った思い出があります。

 

―白木さんがジュエリーを手掛けられていることもあり、華やかなイメージがあるので化石発掘体験は意外です。

 

幼少期の体験って、今の仕事に繋がっているって感じることがあるんです。まずは純粋に、モノ作りが大好きということ。これはやはり、ジュエリーや他のビジネスを生み出していく楽しさに繋がっていると思います。もう一つは、化石や宇宙も”今”に繋がっているなと思います。ジュエリーで使用される石は、何億年という長い年月を経て生まれてきたり、宇宙から隕石としてやってきた物質もあるんです。そういった物質が持つ物語が好きなところも、小さな頃から繋がっていると思います。

 

―白木さんの物語にはご家族のお話しが多く登場されるなと感じるのですが、影響が大きいのですか?

 

そうかもしれません。特に祖父と母の影響が強いのかと思います。自分の中に、2人の血を受け継いでいるなと感じることが多いのですが、祖父は戦争を経験した後、薬剤師の資格を持っていたこともあり薬屋を開業したんです。併せて能の先生をやっていたり、催眠療法などにも取り組んでいました。0から1の立ち上げは、祖父の影響が大きいと思います。収入の間口をたくさん作っていくというのも同じかもしれません。

 

 お母様との2ショット

 

―確かに共通するものを感じます。お母様からは、どのようなところを受け継いでいらっしゃるんですか? 

 

母に対しては尊敬と反発の複雑な感情があるかもしれません。母は鹿児島出身なのですが、学校まで徒歩で1時間も掛かるような田舎で育ちました。そんな田舎から出て、東京でデザイナーとして活躍するような行動派だったんです。そういった面に尊敬を感じつつも、母は24歳で結婚を期に、そこまで苦労してたどり着いたデザイナーという道をやめてしまったんですね。そういった部分に、幼いながらも女性としてのもどかしさを感じたことを覚えています。

 

―デザイナーという共通点や想いを実現させるという行動派な部分を受け継がれているんですね。そんなご家族の元で育った白木さんですが、将来についてはどんなお考えだったんですか?

 

高校3年生までは、デザインや芸術の道に進みたいと思っていました。ところが、両親に反対されて、自分が何をやりたいのかわからなくなってしまったんです。そんな時に祖父から、女性が自立を目指すなら海外に行ったほうがいいというアドバイスをもらって。世界を転々としながら働くという道もいいなと思いました。

 

―そうなんですね。では、この時点では社会貢献やジュエリーというキーワードはなかったんですね。

 

そうなんです。語学を身に付けるために進んだ短大で、大きな転機となった、写真家の桃井和馬さんとの出会いがありました。世界にこれだけ多くの傷ついている人がいる。それが桃井さんの言葉の重みや熱を伴って、私の琴線に触れました。心が動いた瞬間がその時あったと思います。とにかくこの世界のことをもっと知りたい。私が知らなかった、資本主義の影の部分をもっと知らないといけないと思うようになりました。短大卒業後、そのことを学ぶためにイギリスに留学しました。 

 

―留学されたのは、まさに9.11のテロ後のタイミングですよね。不安はなかったのですか?

 

迷いはなかったです。当初はアメリカの大学への留学を検討していましたが、それがイギリスに変わった程度で、留学はあくまで手段だと考えていました。

 

―留学後はどのような経験をされたのですか?

 

留学後、大学での勉強のほか夏休みの時間を使って、南インドの人権問題を扱うNGOで2か月過ごすなど、貧困問題やそれを引き起こした歴史を深く理解していく一方で、いったい私に何ができるんだろうということを悩んでいました。

 

 南インドにてソーシャルワーカーとして活動

 

―その迷いは大学卒業時には晴れていたんでしょうか?

 

いえ、実は26歳になるまでそれは見つかりませんでした。大学卒業後に、国連でインターンをしましたが、ここでは自分の力は発揮できないだろうなということを感じていましたし、NGO・NPOでのボランティア活動を通じて、どの団体も資金集めですごく苦労をしているのを知り、疑問を覚えていました。また、自分が見てきた鉱山での問題は、援助業界だけでなくビジネスそのものの在り方が変わらない限り無くならないのではないのかと。そうした思いから実業を通して社会課題の解決に貢献する道を探すため、民間企業に就職しました。

 

―探していたものはどのようなものだったんですか?

 

“私ならでは”を模索しました。どこに属しても、ある程度は社会に貢献できるかと思いますが、私が見てきたもの、学んできたものを最も活かせる道を探していた気がします。

 

―では、どのように“白木さんならでは”を見つけられたんでしょうか?

 

就職した企業は本当に忙しい場所で、やりがいも感じていましたが、インドで出会った人たちの顔も常に浮かぶようになっていました。出会った人たちに対して、私は何も出来ていないという感情もいつもありました。そんな折、リーマンショックの影響などもあり、次の自分のフェーズを考えるタイミングが訪れたんです。

 

―それがHASUNAだったんでしょうか?

 

そうです。未だ厳しく劣悪な労働環境に置かれている資源採掘の鉱山から、直接仕入れて売るというビジネスモデルが実現できれば、たとえ私自身ができる規模は小さくても、それが触媒のように世界に浸透させて、やがては社会を変えていけるのではないかと考えました。

 

 HASUNAのジュエリー

 

―触媒ですか。まさに、カタリスト(=触媒)として選ばせていただいた白木さんからその言葉が出て嬉しいです。AND STORYでは、人が一歩踏み出すきっかけとなれるよう、様々な方々をカタリストに選定させていただいているのですが、白木さんはジュエリー業界という大きなものを変える触媒になろうという想いがあったのでしょうか?

 

HASUNA設立以降、様々な国際会議に出させていただく機会があるのですが、その中でグローバルシェイパーズ(20~33歳までの若きリーダーたちで構成された世界経済フォーラム)に出た際に、最後のメッセージとして「Be a catalyst」(触媒であれ)というメッセージがあったんです。その時に、自分の活動の範囲だけでなく、それをきっかけに多くの人に機会を提供できるといいなと思ったんです。今回のインタビューの趣旨とも繋がって嬉しいです。

  

―こちらこそ、ありがとうございます。ところで、起業には大変な困難があったと思うのですが、実際はいかがだったんでしょうか?

 

それまで勤めていた会社と業界も違い、人脈もないところからのスタートだったので、経営資源としてはヒト・モノ・カネの全てがない状態でした。趣旨に共感していただいた方々にプロボノ(社会人が自らの専門知識や技能を生かして参加する社会貢献活動)としてご協力いただいたものの、基本的には私1人で立ち上げました。その時は日本初となる取り組みだったので、参考にする事例も情報もない。SNSなどを利用して、エシカルジュエリーに関する情報を少しでもいいから教えてくださいというところから始まりました。

 

―もっとも困難のところは、どこだったんでしょうか?

 

もちろんその全てが大変だったんですが、特に仕入れなどをする資金がなかったんです。留学時代の友人や以前の職場の上司などが協力してくれて、600万円を集めたところからやっとスタート出来たといった状況です。

 

―その後は順調だったんでしょうか?

 

すぐにではないですが、創業して半年程度で百貨店やセレクトショップでの取扱が決まり、そこから伸びていきました。特にエシカルの理念に共感してくださった点と、結婚指輪などのオーダーメイドのデザイン性を評価いただきました。2年目の末には、初めてとなる店舗もオープンできました。

 

―すごく順調な経過だったんですね。その後、大きな変化はあったんでしょうか?

 

5年前に子どもが生まれたことが大きかったです。それまでは夜中まで仕事をすることも当たり前でしたが、出産後は同じようにする訳にはいかなかったので、私自身、これまでのHASUNAとの関わり方を変え、多くの部分を仲間にやってもらう良い機会になったなと思います。

 

―結婚や子どもについてはどのようにお考えだったんですか?

 

以前から子育てをしたいと思っていました。正直、子育てしながら働く想像もできなかったですし、自信があるわけではなかったですが、子どもと一緒なのは楽しそうだなという認識です。周りには「両立は大変だよ」と否定的な方もいらっしゃいましたが、起業する苦労に比べるとそんなに大変ではないだろうという想いでした。もちろん、子どもが出来て大変だと感じる部分もありますが、そこは海外の女性経営者たちから学ぶことが大きかったです。彼女たちがナニーや家事代行サービスなど外部の力を上手く借りて、子育てをチームでやっている姿を参考にさせていただきました。

 

―ロールモデルもグローバルなんですね。

 

そうなんです。特にシンガポールや香港の女性経営者に励まされたのが大きかったです。産後、働くことが当たり前の彼女らは切羽詰まって子育てをしている印象がさほどなく、日本の女性たちと比較するとかなり違っていました。母親だけが育てるという意識ではなく、周りの人たちや良いサービスがあれば頼ったりして上手く両立しているんです。

 

―そうなんですね。そんな大きな変化も上手く機会に変えて乗り越えられている白木さんが今後体験してみたいことはありますか?

 

そうですね。もっと子どもと一緒に世界に出たいなと思います。今までも10か国ぐらい行きましたが、1人で行くより子どもと一緒の方がたくさんの気付きがあるんです。子どもを連れているだけで、世界中のお母さんからそれぞれの子育ての考え方について聞くこともできます。今、HASUNAの中で新規事業の立ち上げをしているのですが、それもやはり子どもと世界に出た中で気付いたアイデアを具現化していっているところです。

 

―最後に、新しい一歩を踏み出そうとする方々へのメッセージをお願いします。

 

常に変化をし続けることよりも、日々の幸せを追求することも大事だなと思います。ただ、大きな方向性を見据えて生きていくために、10年先を考える機会を持つといいですよといつもアドバイスさせていただいております。私自身もそうしているのですが、ぼんやりと考えるのでなく、どんな場所に住んでいて、どんなライフスタイルでというのを事細かに考えてみる。すると、自然と今、何をすべきなのかが見えてくるのではないでしょうか。

 

―今後もHASUNAさんから新しい事業が生まれてくること、そして白木さんがカタリストとして多くの変化を生み出されることを期待しております。本日は素敵な物語をありがとうございました。